子どもの為に生きようと決めてから
アパートを借りるのに必要なお金が貯まりはじめました。
そして子どもたちに話をしました。
ママはここに居たら笑顔になれない。
笑顔になるために出て行く。
あなたたちはパパとママとどちらと暮らしたい?
好きにしていいんだよ。
だけどママは、あなたたちが自分のことをしっかり自分で出来るようになるまではママと暮らした方が良いと思う。
あなたたちがお料理出来るようになるまではママと暮らした方がいいと思う。
パパには会いたいときに会いに行けるよ。
自分のことをしっかりできるようになって、お料理も出来るようになって
その時パパと暮らしたければ、そうすればいい。
そう言って、決めさせました。
当時、5歳と7歳でした。
「ママと暮らす」
と答えました。
今考えれば、そう答えるしかなかったでしょう。
わたしとしては、この地域から出たかった。
夫も義母もいないところで自由にしたかった。
だけど、5歳と7歳の子どもがパパに会いたくなったときに
自分たちの足で歩いて会いにいける距離のところにアパートを借りました。
わたしは自分で自分の命を捨てた。
今あるこの命は子どもたちのためのもの。
そう思っていましたから。
そのころ自律神経失調でめまいも酷く、まともに働けなくなっていました。
それを心配してパート先のバイトの大学生の子たちがアパートに様子を見に来てくれました。
引っ越し後の荷物の整理や、必要な家具の買い出しなど男でも必要でしたが
その大学生たちのお陰で助かりました。
それを見ていた近所の方が、婦人会で変なことを言ったようです。
亡くなった義父の本家は600年以上前から続く家で、お寺の世話人や
地域の取りまとめ役などをしている立派な家です。
そこのお嫁さんが婦人会に出たときに言われたそうです。
「男が出入りしているよ。本家がこんなに近くにありながら
そんなことさせてていいの!?」
と。
とても嫌な思いをされたようです。
でも、大人の事情は子どもには関係ありません。
その後、もっと遠くへ行ってくれと、その本家のお嫁さんから言われました。
親の都合で、パパと離れて暮らさなきゃいけなくなった子どもに
それ以外の部分では最善を尽くそうと決めていたので
遠くへ行く気はありませんでした。
後ろめたいことをしていないのだから、いつかわかってもらえる。
この子たちを立派に育ててみせる。
わたしは何を言われても構わない。
この子たちが何を耳にしてきても、揺らがないように育ててみせる。
そのためにはわたしの生き様で教えるしかない。
そう強く決心したのでした。