わたしは自ら命を絶とうとしたところを
子どもが救ってくれたので
自分の欲は捨てて子どもの為に生きようと決めました。
そうすると、いろいろな事がうまく行き始めました。
笑顔も増えていきました。
子どもが小学高学年になった頃、ちょっと考えてみたんです。
子どもはいつまでも母親を必要とはしない。
もし子どもと関わる時間が減ってしまったら
わたしはきっと、生きがいを失ってガクンとしてしまうだろう。
そうならないために趣味でも作ろうか、、どうしようか。
と。
この先の生きがいを見つけるために
幼いころからを振り返るといつもわたしは誰かのしあわせを願っていました。
5歳のころはキャンディー・キャンディーの影響や母親(若いころ看護師を目指して住み込みで病院に勤めていた)の影響で看護師さんになりたいと思っていました。
病人を元気にしたい!
小学生になった頃は歌手になりたいと思いました。
アイドル歌手とかではなく、地方へ行ったりして
わたしの歌で元気のない人を元気づけたり、感動させたり
勇気づけたいと思っていました。笑って欲しいと思っていました。
次は女優さんになりたいと思いました。
テレビで観るキレイな女優さんではなく、舞台女優です。
やはり自分の演技で感動してもらったり、元気になってもらったりしたいと思っていました。
そして、小学3年生の時に建築士になろうと決めました。
素敵なデザインや奇抜なデザインの建物も設計してみたいとは思いましたが
そこに住んでいる家族がしあわせになれる間取りの住宅を設計したいと思っていました。
いつもそうやって人のしあわせや、心を癒すことを考えていました。
そして、テレビでアフリカやアジアの栄養失調の子どもたちを観たときは
涙を流していました。
高校生の頃、そういう番組をみて「可哀想」と思っている自分を「偽善者」だと思いました。
可哀想と思いながらなにもしていないじゃないか!
と自分自身に腹を立てていました。
やりたくないと思っていた接客用では
たくさんのお客様にニコニコと挨拶をすることが楽しかったし
笑顔で「ご馳走様」と言って頂けたときは本当に嬉しかった(*´▽`*)
子どもたちも、わたしが少年野球のみんなにおはぎを作ったり、
パウンドケーキを作って差し入れすると、みんながニコニコしてくれるから
そういうことにお金を使って自分たちの家の食事が少なくなってでも、
差し入れを欲しいと願っていました。
そんな風に振り返ったとき、わたしは誰かを笑顔にしたいんだなぁ~と
気づいたんです。
そして、ボランティアをして生きていこう!!
その時は、それを次の生きがいにしようと決めたのでした。
ボランティアだけして生きるために、権利収入を作ろうとか
そう言うことを考え始めたのでした。